僕が『学び合い』を実践したのは、教師になって3年目のことです。
「もっと子ども主体のクラスを築いていきたいな!」と思ったとき、本屋さんで偶然『学び合い』の本を見つけました。
クラスが元気になる!『学び合い』スタートブック Kindle版
(この本、今はKindleにもなっていて便利ですね!)
そこから『学び合い』について、たくさんの本を読んで、たくさんの実践をしてきました。
気づけば7〜8年ぐらい『学び合い』をやってきました。
僕は、公立、私立、特別支援学級を含めた、計5校で勤務してきましたが、すべての学校で『学び合い』をやってきました。
成功もあれば、失敗もあります。
ちなみに5校も経験しているとはいえ、『学び合い』の実践者は本当に少数です。
しかし、ここ最近は「実践してみたい」と考えている先生が増え、相談されることが多くなりました。
前回までは『学び合い』のメリットについて説明してきました。
そこで今回は「失敗談」にフォーカスをし、
なぜか『学び合い』が失敗するとき【実践者からのアドバイス】
というテーマでお話します。
みんなで取り組む『学び合い』入門-THE教師力ハンドブック-西川-純
「これから『学び合い』に取り組んでみたい❗」という先生方の少しでもお役に立てれば幸いです。

失敗談から学ぶのも大切やで❗
なぜか『学び合い』が失敗するとき【実践者からのアドバイス】
結論から言いますと、
・習熟度別少人数授業のとき
となります。
ただ、大前提として、
・教師と子ども間に信頼関係がない
・同僚間に信頼関係がない
という場合は、今回除外させていただきます。
『学び合い』以前の課題なので、敢えて西川純先生の著書を紹介するなら、こちらを読んだほうがいいかもしれません。
今回は、これまでの教員経験でそれなりの実績を残し、『学び合い』に関してもそれなりの成果を上げてきた方でも、失敗してしまう場面です。
僕自身も「あれ? なんか上手くいかない…」と悩みました。
『学び合い』の価値を語って、いざ授業に取り組んでも、どうも子ども同士の動きが鈍い。
言ってしまえば「学び合わない」。
そして目標も達成できない。
ちなみに、この状況が続くと、テストの結果もよくなく、保護者も同僚も「むむむ…この先生、大丈夫か❓」となります。
こんなスパイラル嫌ですよね❗笑
実は『学び合い』の失敗って、その気になればたくさんあるのです。
・課題が簡単すぎるとき
・マンネリ化してきたとき
・教師が「できる子」に頼りすぎていたとき
そんなときはぜひこの本を参考にしてください。
先程のような例ですと、先生自身が自らの行動を振り返り、この本に書かれてある言葉がけを意識すれば、解決できることが多いです。
つまり、教師側の問題なのです。
しかし、これから伝える『学び合い』の失敗例は、教師のスキルの問題ではなく、システムの問題なのです。
それが、「習熟度別少人数授業」のときです。

ここからはあくまでハルキの経験談やで❗
習熟度別少人数授業では『学び合い』が上手くいかない
習熟度別少人数授業で上手くいかない理由は多いのです。
・学年間で授業方法が固定される
・「できる子」が「できない子」に教える場面が生まれない
・『学び合い』の空間が作れない
一つひとつ見ていきましょう。
学年間で授業方法が固定される
そもそも「習熟度別少人数授業で何じゃい❗❓」と思う人がきっといるでしょう。
僕だって初任校の頃は知らなかったですよ笑
異動して、自治体が変わったときに、はじめて習熟度別少人数授業を経験したのです。
・算数の授業にて、どのクラスも子どもたちを3つのレベルに分ける(大抵、「得意クラス」「普通クラス」「不得意クラス」に分けます)
・算数の授業は、分けられたクラスで行う。
・子どもの人数的には「得意クラス」なるほど多く、「不得意クラス」ほど少ない。
・単元ごとに、クラス分けのアンケートを取ったり、レディネステストをするので、先生も子どもも、メンバーは流動的。
・算数少人数担当の先生がいたりする。その場合、たとえば2クラスの学年だとすると、算数では習熟度別の3つのクラスになり、2人の担任プラス少人数担当の先生が入る。
こんな感じのシステムになっています。
さて、この授業形態。
学校によっても違うのでしょうが、基本、学年間で授業方法が固定されるのですね。
たとえば、
・黒板に、「めあて」や「まとめ」のマグネットを貼る
・ノートのとり方は逐一同じ。
というように、習熟度別に分かれていようとも、授業スタイルはどのクラスでも同じなのです。
これだと『学び合い』ができるスキなんてないですね❗笑
前の学校で『学び合い』をバリバリやってきて、異動した瞬間にコレ…
しかも、よりによって一番『学び合い』がやりやすい算数です❗笑
まぁ、たくさんの経験をしてきた今の自分なら、このスタイルでも、それなりの成果を出せると思います。
当時は未熟でダメでした笑

懐かしい思い出やな❗
「できる子」が「できない子」に教える場面が生まれない
『学び合い』は誤解を招く表現かもしれませんが、
「できる子」が「できない子」を教える場面があって成立します。
もちろん、この場面をしっかり分析すると、実際には「できる子」の方が学んでいることに気がつくのですが、とにかく今はイメージとして「ミニ先生」のような実践を思い出してください。
さて、習熟度別少人数授業では、レベル別になるので、つまり「できる子だけのクラス」や「できない子たちだけのクラス」になります。※繰り返しますが「できる子」「できない子」という表現は便宜上です。実際にこんな言い方は絶対にしません。
ある課題があって、終わった子が、終わっていない子にサポートする。
『学び合い』でよく見る光景です。
しかし、「できない子たちだけのクラス」では、そもそも全員課題ができません。
当然、個別で先生が教えますが、数人で精一杯です。
『学び合い』ならば、たくさんの子どもたちの力を借りられるのですが、その子どもたちがいないのです。
では、「できる子たちだけのクラス」はどうなのか?
これが案外上手くいかないのですね❗
というのも、「できる子」たちは各々のペースで課題ができてしまいます。
教えられる必要がないのです。
黙々とそれぞれが課題に取り組んでいる雰囲気です。
もちろん課題ができていればいいじゃん、という考えもあるでしょう。
おそらく、当人の子どもたちも悪い想いはしていないかもしれません。
しかし、『学び合い』の大切な考えの一つでもある、
「多様な人と折り合いをつける」
という教育を施せないのは残念です。

授業は成立するけどモヤモヤが残る感じやねん
『学び合い』の空間が作れない
・一人も見捨てない
・多様な人と折り合いをつけよう
・教えることは得なんだよ
・わからないことは悪くないんだ
『学び合い』を通して、教師も先生も様々なことが学べます。
ただ、この空間を育むにはそれなりの時間を要します。
ただ、習熟度別少人数授業では、単元ごとにメンバーが変わります。
ですので、『学び合い』の空間を生み出せないのです。
自分のクラスで固定されたメンバーならば、毎日の『学び合い』で、時間をかけて、様々なことを学べるでしょう。
しかし、メンバーが固定されない習熟度別少人数授業ではそれができません。
以上の3つが、習熟度別少人数授業で『学び合い』が失敗した理由です。
「失敗した」ということは、実はこの学校で、こっそり『学び合い』をやってみたこともあったのですよ笑
しかし、上手くいかなかった❗笑
ちなみに、冒頭に僕は5校すべての学校で『学び合い』をやってきたと言いましたね。
それでは、何でこの学校で『学び合い』ができたのか❓(失敗ではなく)
理由は簡単です。
その学校で先生が足りなくなり、算数少人数担当の先生も担任になったのです。
それで、算数の授業も習熟度別少人数がシステム的にできなくなり、クラス算数になったのです。
それで『学び合い』ができたのです笑

今後もそんな学校が増えるかもな❗
まとめ:危ない橋は渡らないで
『学び合い』の実践者も、そうでない方も、この記事を読んで、いろいろモヤモヤが溜まってきたのではないでしょうか。
その解答は、おそらく「そのとおりです。私が未熟でした」という言葉が返せると思います。
「算数以外でも『学び合い』はできたんじゃないの❓」
→「そのとおりです。私が未熟でした」
「習熟度別少人数授業でも成果を出せている先生はいるでしょ?」
→「そのとおりです。私が未熟でした」
「まぁ、せめて学年主任だったら、いろいろ工夫できたのかもね!」
→「そのとおりです。私が未熟でした」
という感じです笑
今ならもっと工夫して対策できますが、当時はダメでしたね。
ちなみに、最後に紹介する西川純先生のこの本を読んだのは、習熟度別少人数授業をやった後からでした!笑
『学び合い』の本の中では少し特殊です。でも、ものすごく大切です❗
『学び合い』でやりがちな失敗と、その対策が書かれています!
もう少し早く読めばよかったですね…笑
ただ、僕の経験談が他の先生方に役立てば何よりです。
ぜひ少しでも参考になりましたら幸いです。
これからもお互い頑張っていきましょう❗
今日のシン・キョウシ格言
「危ない橋は本を読んで避けなさい」
ハルキ
コメント
小学生の姉妹を持つ母です。
学び合いって、学力差が大きい学校でも成立するのでしょうか?
うちは2人ともずっとミニ先生を強制されており、学校で学ぶことが何もない、と不満を言っています。
更に、長女の場合、学力が低いお子さんが多く(高学年なのもありますが)、補助教員のような役割をさせられてます。
本人が苦痛を感じてるのでやめてほしい、と何度もお願いしましたが、「わかりました」とだけ返答して、実際は何も変えていなかったようです。さらに問題児のお世話係も、やめてほしいとお願いしたにも関わらず、させられていたようです。
ヒステリックな教師から、理不尽に怒鳴られ続けたこと、学び合いという名の補助教員強制によって、うつ病になってしまいました。
学び合いで教えても、相手は「教えてもらってる」ではなく「聞いてやってる」の立場で暴言を吐くことも少なくなく、小学生の娘には辛い毎日だったようです。
どうしたら学力が高い子が、補助教員としてではなく、普通の児童として、学校に通うことができるのか、
その原因となっている学び合いを止めさせられるのか、親として悩んでおります。
ご助言いただけないでしょうか。
よろしくお願いいたします。
お返事が遅れてしまい、大変申し訳ございません!
コメントありがとうございます!
文面から察すると、『学び合い』云々ではなく、先生の「心の状態」がよくないのかもしれません。
『学び合い』に限らず、先生として大切なことは、what(何を教えるか)、how(どのように教えるか)、そしてwho(誰が教えるか)という3つのバランスが大切になっていきます。
要は、who(誰が教えるか)の部分で、先生と子どもたちとで最低限の信頼関係ができていないと教育の効果は発揮されないのです。
「同じ言葉でも、言われる相手によって理解が異なる」あの感覚です。
もしかすると、その先生はwhoの部分で、お互いに学び合う大切さが、上手く子どもたちに伝わっていないのかもしれません。
ただ、一つだけ補足すると、私自身も同じような経験をし、苦い思い出を得て、今があります。
一番、大切なことは「優れた実践」ではなく、「目の前の子どもに集中すること」です。勉強熱心な先生ほど、忘れがちになってしまう部分です。
その先生も僕と同じなら、上手くいかない自分にきっと迷っているのだと思います。
その先生のすべてが「悪」ではきっとないと思います。その点は認めつつ、感謝もし、その上でお子様たちが困っていることを伝えられたら、と思います。
上手くアドバイスができず、すみません💦