品のある「#教師のバトン」【先輩先生から受け継いだ5つの言葉】

教育相談

こんにちは。ハルキです。

本記事では、

  • 品のある「#教師のバトン」はないのか?

このような疑問を以下の内容で答えます。

✓本記事の内容

1.品のある「#教師のバトン」はある!

2.これからは僕たちがバトンを繋いでいかないといけない!

この記事を書いている僕は、教師歴が10年ほど。

公立・私立・特別支援学級を担当してきました。

学年主任をはじめ、特別活動主任や視聴覚主任などを経験しています。

様々な教育雑誌・教育新聞の連載、講演活動も行っています。

こういった自分が解説していきます。


品のある「#教師のバトン」はある!

「#教師のバトン」とは、文部科学省が発信したイベントです。

以下のような目的がありました。


令和の日本型学校教育を実現していくため、時代の変化に応じた質の高い教師を確保するためには、より一層の働き方改革の推進や処遇の在り方の検討を進めることに加え、教職を目指す学生や社会人の方に、現職の教師が前向きに取り組んでいる姿を知ってもらうことが重要です。
そこで、令和3年2月に公表した「『令和の日本型教育』を担う教師の人材確保・質向上プラン」を踏まえ、このたび「#教師のバトン」プロジェクトを新たに開始いたします。

(参考サイト:https://www.mext.go.jp/mext_01301.html


#教師のバトンの現状

本来は、これから教師を目指す人達に、学校現場の素晴らしさを伝えていくイベントでした。

しかし、現状は見るにも耐えないほどの現場の声でした。

※ちなみに「品のある」の意味とは、痛烈な表現のツイートが多かったための注意喚起でした。


僕は最先端の現場で働いている教師なので、現場の意見もよくわかります。

ただ、インターネットやSNSの悪い面が反映されてしまい、当イベントは社会的にもあまり評判がよろしいものではありませんでした。


品のある「#教師のバトン」とは

とても残念な結果に終わってしまいましたが、それでも「#教師のバトン」そもそもの目的は素晴らしいものです。

昨今、教師のなり手がどんどん減っている状況で、文部科学省が何かの対策を打つのは当然でしょう。

もちろん、違う方法があったのかもしれませんが、「#教師のバトン」本来の目的を馬鹿にする理由はどこにもないはずです。

それでも、肯定的な意見が消えてしまっているのは残念です。

本来の目的が達成できていません。


それじゃあ、教師の端くれとして、

「僕が今まで先輩先生から受け継いだ言葉をバトンにしてやろうじゃないか!」

と思い立ちました!

僕が悩み苦しんだときに、心から励まされた先輩からの言葉です。

品のある「#教師のバトン」です笑

ぜひ、少しでも多くの人に届き、教師への情熱を持っていただけたら幸いです。


先輩先生から受け継いだ5つの言葉

それでは行きましょう! スタート!


1.

「先生がそこまでだと思ったら、子どももそこまでで終わるんだよ」

M先生から教わった言葉です。

M先生は、子どもも観客も大満足な運動会の表現指導ができる先生でした。

その先生から学んだのがこの言葉。

先生が「まぁこのぐらいでいいや」と思えば、子どもたちも「別にこれぐらいでいいよね」で終わってしまう。逆に、先生が「まだまだ高みを目指せる」と思えば、子どもたちもそれに応えてくれる。

何があっても絶対に教師があきらめないこと。その大切さを学んだ言葉です。



2.

「子どもたちを統率できる力を忘れてはいけないよ。それができなくて苦しんでいる先生がいるのだから

K先生から教わった言葉です。

当時、『学び合い』や個別最適化などを学んでいた時期でした。

その反動として、一斉授業や子どもたちを統率することに疑問を感じていました。

そんなとき、K先生はこの言葉を与えてくれました。

たとえ、子どもたちの自主性を尊重する教育であっても、教師が統率する場面は絶対にあります。それを忘れてはいけません。

昨今、流行りの教育方法に引っ張られて、子どもたちを統率できない先生が増えています。クラスが落ち着かなくなり、結果、その先生も苦しくなります。

今一度、教師としての責任を再認識すること。その大切さを学んだ言葉です。



3.

「保護者との関わりは会議室だけでやってはいけない。地域行事に出るのも大切だよ」

N先生から教わった言葉です。

保護者との関わりは、電話や連絡帳、もしくは学校での面談です。

職場でのやり取りはお互いに構えてしまうところがあります。

保護者との関わりは、時に学校の外に出て、地域行事で一緒に触れ合ってみる。そうやって信頼関係を築いていく。

時間外労働なのかもしれませんが、僕はこの教えを今でも忠実に守っています。

そして、自分のクラスではない保護者や子どもたちとも信頼関係を築くこともできました。

大切な考え方です。



4.

「全然問題ない。そんなにクヨクヨするなんて、あなたらしくない」

I校長先生から教わった言葉です。

実は僕は吃音症です。

6年生担任の当時、卒業式での卒業証書の呼名。

子どもの名前がスラスラ言えず、とてもつらかったです。

僕はI校長先生に、「僕なんかが呼名をしてもいいのでしょうか」と悩みを打ち明けました。

そんなときに、I校長先生はこう言って励ましてくれました。

吃音があるから当然、本番も呼名はどもりました。でも、「これがこの子たちの名前を呼ぶ最後になるかもしれないんだ!」という想いで言い切りました。

吃音があっても先生はできる。それを確信した瞬間でした。



5.

「そうか。それならもう大丈夫だ!」

A先生から教わった言葉です。

その年度の学級経営はあまり上手くいきませんでした。

学級経営が上手くいかなった原因は自分の責任。子どもたちに申し訳ない気持ちでした。

そして、自分のあまりの不甲斐なさに、学年主任であったA先生に自分の想いを伝えました。

そのときにこの言葉をかけてくれました。

教師とて人間。たくさんの失敗をする。でも、しっかり振り返り、次に生かせばいいのです。

いくつかの月日を経て、僕も学年主任をする立場になりました。A先生の優しさをいつも目標にしています。


まとめ:これからは僕たちがバトンを繋いでいかないといけない!

まだまだ数え切れないほどのバトンを先輩先生から受け取っています。

そして、不思議と今の自分の教育に関する「指針」も、先輩から受け継いだエッセンスをいただいています。

文部科学省の「#教師のバトン」。

教師はあんな「品のないバトン」しかないのか?

いや、絶対に違う。

どの先生も、本当は先輩から素晴らしいバトンをいただいていると僕は信じたい。

そして、受け継いだバトンは、僕たちが次世代へ渡していかないといけないんだ。

もっともっと日本の教育が素晴らしくなるように!

ご精読感謝致します。

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